2022.04.25 Writer:弾語亭マレンコシ(音蔵カンサイアンバサダー)

カンサイライブ名所巡り2: バナナホール(大阪キタ)

美味しく生まれ変わったバナナ!

https://www.banana-hall.com/

●Since 1981

「バナナホール」は、1981年(昭和56年)12月、当時ほとんどなかった「大阪から新しい音楽を発信できる場所」を目指して大阪キタの中心地である梅田(大阪市北区堂山町)にオープンした。

当時、アマテュアロックバンドの登竜門といえば「8.8.ロックデー」だった。1979年に開催された本大会では、「誰がカバやねんロックンロールショー」が優勝。彼らの名前を冠にしたテレビ番組(関西テレビ)が、若き日の明石家さんまを司会に起用して梅田阪急ファイブ8Fオレンジルームからの生中継で始まるなど、大阪のロックシーンがにわかに盛り上がったのが、1980年という年だった。

しかしその番組は秋に打ち切りとなって短命に終わり、そのことがその盛り上がりに水を差す、そして年が開けるとさらに関西全体のロックへの熱量は下がり、新たな起爆剤となる存在、新しい音楽発信の場が、大阪の中心地に待望されていた。

そんな1981年。

スタンディングで500名が収容できる本格的なライブハウスとしてバナナホールは誕生し、その歴史を刻んで行くことになる。

1985年当時のホールマガジン(ライブスケジュール)

1985年10月のバナナホールブッキングスケジュール(ホールマガジン「BANANA王国」10月号より)。1980年代には、まだネットがない。その時代にライブハウスに通った人たちは、「ぴあ」と、こうしたホールマガジンが情報源だった。


●歴史の証人たち

浅香唯、東野純直、有山じゅんじ、INSPi、上田正樹、植村花菜、大槻ケンヂ、小川恵理子、尾崎豊、小谷美紗子、影山ヒロノブ、嘉門達夫、KAN、キダ・タロー、麒麟、餃子大王、コブクロ、斉藤和義、ザ・ブルーハーツ、SALLY、サンボマスター、JITTERIN'JINN、島田洋七、シャ乱Q、THE STREET SLIDERS、スガシカオ、SPARKS GO GO、ソウル・フラワー・ユニオン、曽我部恵一、つじあやの、椿屋四重奏、TM NETWORK、De-LAX、堂島孝平、時任三郎、中島らも、中村あゆみ、ナガオクミ、2丁拳銃、野村義男、バッファロー吾郎、バナナマン、BUMP OF CHICKEN、BEGIN、ビリケン、Theピーズ、友川かずき、広沢タダシ、フラワーカンパニーズ、藤井尚之、Baby Boo、BO GUMBOS、BOØWY、ポルノグラフィティ、松原みき、円広志、もんたよしのり、やしきたかじん、矢野絢子、山崎まさよし、憂歌団、リリー・フランキー、ルースターズ、LOOPUS、REBECCA、Rev. from DVL、ワタナベイビー、GRAPEVINE、渡辺真知子、笑い飯、グレートチキンパワーズ、ドミンゴス等々、錚々たるアーティストたちが「バナナホール」のステージに立ってきた。

こうしたプロに限らず、アマチュアに広く門戸を開き、ジャンルもポップ、ロック、ブルース、ジャズ、フォーク、民族音楽、さらにはお笑いイベントまで、「バナナホール」は幅広く受け入れた。

特に、関西のインディーズバンドにとって、バナナホールは、一種の登竜門的な存在として存在感を発揮し、年間約6万人が訪れる人気ライブハウスとしてのブランドを確立するに至ったのだった。


●9年半の空白

しかし、2007年(平成19年)9月17日。バナナホールは、惜しまれつつ閉館する。約26年間にもわたる歴史の「第一幕」は、いったんおろされた。

ホールエクステリア

2017年に登場した「新生バナナホール」。大阪キタの繁華街「東通り商店街」の東端に位置する。


しかし、それからおよそ9年半後の2017年(平成29年)4月1日、旧ホールと同じ北区堂山町内ではあるが場所を変え、大阪市北区堂山町1-21 モンテビルB1Fにて新生バナナホールが再オープンする。

9年半の休止期間を挟んで生まれ変わったバナナホールの「第二幕」は、再び多くのミュージシャンの通り道として、また関西音楽シーンおよびアーティスト人気の「火付け役」としての役割を以前にも増してパワフルに果たし始めている。

その、新生バナナホールの店長として、またブッキングマネージャーとしてバナナホールを取り仕切っているのは、知る人ぞ知るスペース・ロックバンド「太陽の塔」のギタリスト、今富一機氏である。


●太陽の塔

「私は、旧ホールがオープンして8年、空前のバンドブームが訪れていた1989年からバナナホールとかかわってきました。当時私はまだ19歳でしたが、将来プロとしてやって行きたくて、第一線のアーティストの音やパフォーマンスを生で感じたい一心でバナナホールにアルバイトで入ったのでした。当時は憂歌団、石田長生、ビギンなどがよくステージに立っていて、彼らのステージを間近で学べたことはバナナホールに入ってとてもよかったことの一つです。」

店長兼ブッキングマネージャーの今富一機氏は当時をこう回想する。

「ところが21歳で正社員となって、ブッキングを任されるようになると急激に忙しくなりました。もともとバンドがやりたくてバナナホールで勉強させていただいたのですが、バナナホールの正社員となったことで、仕事とバンドの両立が難しくなってしまったのです。」

今富は、23歳でバナナホールを退社。当時結成したバンド・「太陽の塔」のメンバーと一緒に東京に出て、アルファレコードからメジャーデビューを果たす。ちなみにプロデュースは、あの頭脳警察の「パンタ」氏である。

ロックバンド「太陽の塔」

バナナホール店長として、またブッキングマネージャーとしてバナナホールを取り仕切っている今富一機さんはは、スペース・ロックバンド「太陽の塔」のギタリスト。メジャーデビュー経験があり、今なお現役プレイヤーでもある彼の人脈はとても広い。(どれが今富さんかわかるかな?)

今富は、太陽の塔のギタリストとして5年間ほど東京で活動。アルファレコードの消滅と同時に、バンドは活動休止の決断をする。

「埼玉県の大宮でライブハウスを4年あまり共同経営したのち、34歳で大阪に帰ってきました。バナナホールに復帰させていただくという考えもなくはなかったのですが、この業界以外の仕事を含めて、半年間ほどゆっくり考えたあと、もっとも熱心なオファーをくれた別の会社にお世話になることにしました。」

そして、大阪でも12年という歳月が、あっという間に流れた。


●名物の「樽」帰還!

今富の耳にバナナホール復活構想が飛び込んできたのは2016年夏のことだった。23歳でバナナホールを去って22年、今富は40 代半ばの働き盛り、仕事も順調で充実していた。

「ありがたいことに、旧ホールの時代に大変お世話になった音響大ベテランの土井悦司さんから一緒にやらないかと誘っていただいたのです。」

今富一機は土井の熱意に、バナナホールに帰る決断をする。当時の照明技術者も帰ってきてくれた。今富は、彼らと力を合わせて、新生バナナホールの立ち上げから指揮をとることになった。

多くのライブハウスは、外観、特に内装は黒が基調。それが一般的だ。しかし、新しいバナナホールは趣が異なる。

渋い!のである。



オーク系のブラウンを基調にしたホールインテリアはとても落ち着いていて、贅沢な音楽空間を演出。

通常、ライブハウスでは客席とステージの間に安全のための柵が立てられる。が、バナナホールは旧ホールの時代には柵のかわりに巨大な樽を「柵」がわりに置いてあり、それはバナナホールの名物とも言われた。時にはステージに立つミュージシャンがこの樽の上に乗り、パフォーマンスを繰り広げたことも多々あったのだ。

そんな「名物」が、新しいホールに帰ってきて、据えられた。


旧ホールの時代から「バナナホール」のシンボル的存在であった「樽」と「グランドピアノ」。オールドファンにはたまらない!?仲良く新しい「器」に帰ってきた。

そして、内装は、そのシンボルとしての樽を基調として、木目調に仕上げられたのである。もう一つの名物だった「ピアノ」もステージ上にセットされ、渋く仕上げられたホールの中で、いぶし銀のような輝きを放っている。


●Since 2017

そんな新ホールが完成し、新生バナナホールがオープンしたのは2017年4月1日。オープン時期のブッキングについて、さすが経験豊富な今富は冷静に判断していた。

「工事がやや突貫気味だったため、オープン当初は営業的にはそんなに無理をしませんでした。」

ライブハウスの生命線は、何と言っても音響である。ミュージシャンでもある今富は、ホールオープン後も吸音状態やホールの“鳴り”には徹底的にこだわった。

「音響のスタッフと、吸音にしても連日連夜、何度も、何度も、試行錯誤し続けました。2年ぐらい、微調整を含めてかけたでしょうか。やっと、箱の“鳴り”が落ち着いてきて、5年経った今は、とてもいい感じですよ。」

立ち上げ期は、アーティストたちの協力もありがたかった。

「NANIWA EXPRESSの清水興さん、杉山清貴さんはじめ旧ホール時代からの多くのアーティストが力を貸してくれました。BEGINも3daysのイベントをやってくれたり。軌道に乗ってくると、ガクト、トーベルマンインフィニティなどがさらに盛り上げてくれました。サマーソニックで縁ができたアメリカのポップ/ロックバンド「ザ・レモン・ツイッグス (The Lemon Twigs)」のライブも、素晴らしいものになりました。」


●新名物「バナナジュース」

新生バナナホールには、もうすっかり有名になった新しい名物がすっかり定着している。

「新生バナナホール」の名物「バナナジュース」


「バナナジュース」、600円也である。

その名を一躍有名にしてくれたのは、日本を代表する夏フェス「SUMMER SONIC」。そこにバナナホールとして出店したのだ。出店は今年で3回目になる。

「このバナナジュース、ヤバい」「美味すぎ!」

過去二度の出店で、評判が一気に全国に広まったのだ。噂が噂を呼んで、フェスでの売り上げは記録的なものとなり、今では全国各地から、それを目当てに「バナナホール」を訪れる人もいる。


サマーソニックへの出店は3年続いている。2018年のタコライスも大好評だった。


今富は言う。

「時代は変わりました。今後まだまだ、おそらくもっと速いスピードで変わって行くことでしょう。バナナジュースは、かつてはなかったもの。今回徹底的に研究して開発した自信作だし、コロナが明けたら、通称【裏バナナ】と呼ばれるアルコールドリンクも再開します。カレーやタコライスも大好評です。このように、新しいバナナホールでは、600円のドリンクチケットはフードにも使え、唐揚やフライドポテトは300円。飲食も大いに楽しめるライブハウスとなっています。要するに、バナナホールとしては、新しい時代にお客様とミュージシャンが求める【いい環境】【楽しい場】というものをどれだけ魅力的なものとして提案できるか、そこがすべてです。お客さんもアーティストもライブハウスも、みんながOKな一日1日のために、バナナホールは頑張って行きます。」

ホールの責任者としての立場から、始まったばかりの「バナナホール第二幕」についてこう明言してくれた。

最後に、バナナホールの責任者の立場を離れた時の彼、つまりは今も3年に一度程度のペースで「太陽の塔」のツアーもやっている現役ミュージシャン今富一機として、音蔵ミュージシャンへのアドバイスを求めてみた。

「アーティストとして売れるためには、今やライブをやっているだけでは厳しい時代ではあります。SNSなど、発信形態が激変。でもそうしたチャンスも、それを活かしきるためには、相当の実力が必要だし、プロモーションビデオなりちゃんと作りこむところからやっていかないとそこに乗れないですよね。そうした時代だから、ライブの意味というものを、アーティストそれぞれに日々再定義して行くのでしょうが。しかしそのライブのクオリティは、絶対条件です。文字通りナマなので、パフォーマンス力と言うか、実力がもろにバレちゃいますから。そのライブパフォーマンスを前提に、もちろん歌詞とか曲とかの良さ、新しさ、それ以外の要素をも統合してアーティストとしてブランディングする必要があると思います。」